三毛猫カフェ トリコロール 立ち読み

 

「夏梅、おっせーよ。もう乱打終わって練習試合始まってるし」
 着替えてから急いでテニスコートに向かうと、僕と同じく二年生の木下が口を尖らせてそう言った。
「夏梅、木下の言う通りだ。今日コート整備な」
「黒川先輩すみません」
 テニス部の三年生、キャプテンの黒川先輩も呆れ気味にそう言ったので、そこは素直に謝った。コート整備か……。アーモンドトーストにありつけるまでの道のりが少し遠くなった。
「どうせ、また猫探してたんだろ? 彼女の店の」
「何回も言うけど、華鈴は別に彼女じゃないし」
 しつこいなあと思わず顔をしかめる。幼馴染だと何度言っても、木下は華鈴を僕の『彼女』ということにしておきたがる。面倒な奴だ。
 僕の家は、以前は華鈴の家と同じ町内にある賃貸マンションだった。
 ともに美容師の僕の両親は、二人で営む店のテナントの家賃を払い続けるよりは、自宅兼店舗を構えたほうがいいだろうと考えた。そんなとき、華鈴が両親と住んでいた家の三軒隣に、道路に面したちょうどいい売地があって、十年前、そこに両親の職場とマイホームが建てられたのだ。
 一人っ子の華鈴と僕と、僕の四つ下の双子の妹と弟。小さい頃の思い出のメインはこの四人で構成されている。それまでも僕と華鈴は保育園が同じだったし、町内の行事等で一緒になることも多かったけれど、自宅兼店舗ができてますます忙しくなった僕の両親にかわって、華鈴の両親の華奈枝おばさんと、聡おじさんが随分あちこちへ連れて行ってくれたのだ。
 あのときまでは。
 ふと黒川先輩を見ると、とても怪訝そうな顔をしていた。
「猫?」
「友だちの家が、猫カフェをやってて、いつもその友だちが店の手伝いをしてるんです」
「猫カフェって、もしかして本町の猫カフェ?」
「そうです。トリコロール。え? 黒川先輩行ったことあるんですか?」
 黒川先輩がトリコロールのことを知っているのが嬉しくて、僕は前のめり気味に聞いた。
「いや、そうじゃないんだ。ただ……」
 黒川先輩は何か思うところがあるらしく、何度も首をひねってから、最後にこう言った。
「夏梅、ちょっと聞きたいことがあるから、部活終わったら時間くれ」
 爽やかで、リーダーシップのあるイケメンキャプテン。女子にそう密かに囁かれている黒川先輩にしては、妙に歯切れの悪い感じだった。その後のプレーも妙に冴えない様子で、凡人な僕は時間が経つにつれ、黒川先輩に何を聞かれるのかが心配になった。

 うちの学校は姫路駅までは微妙に距離があり、駅までバスを使うか、徒歩にするかは分かれるところだ。僕も黒川先輩も徒歩派なので、一緒に駅まで向かいながら話をすることになった。そのおかげで、一人でコート整備をするという遅刻の罰はなくなった。
 けれど、歩けども歩けども黒川先輩は、なかなか話しだそうとしない。興味津々だった木下をまくために、わざわざ市立美術館の駐車場まで越えた。そのかいも虚しく、もうすぐ護国神社についてしまう……。いや、もうついてしまった。この目の前の信号を渡ればすぐに本町商店街なのに、何も話せていない。
 すると、先輩はピタッと止まって、僕の方へ振り返った。
「夏梅、お前、理系だよな?」
「え? あ、まあ一応理系ですけど」
 唐突な質問に戸惑いながらも頷くと、先輩はそれに続いて早口でまくし立てた。
「俺も理系だ。バリバリの理系だ。昔から非科学的なことは信じないほうなんだ。幽霊とか、超常現象とか」
「はあ。そうなんですか」
 UFOとかも信じないのかなあ。なんか残念だな。話の行方の分からない僕はそんな事を考えながら、のんきに相槌を打っていた。
「だから、占いなんてのは、本来もってのほかなんだ」
「黒川先輩、占いは一説には統計学の要素があるって言いますよ。だから全く理系の要素がないわけでも……」
「いや、そうかもしれない。そうかもしれないからこそ、頼みの綱に思えたのかもしれない。いや、あれこれ言っても俺も受験のときは合格祈願ここで絵馬を書いたし、人間というものは最後はそういうことに頼ってしまうのかもしれない」
 早口で熱弁しているけど、黒川先輩は思い切り取り乱している。木下を追い払っておいて正解だ。僕の記憶の限り、こんなに面白い黒川先輩は初めて見る。
「黒川先輩。僕に、何をさせたいんですか?」
 黒川先輩は、ハッと、元のイケメンに戻った。
「俺が聞いた噂が本当なら、トリコロールの店主は、高名な占い師なんだ」
 トリコロールの店主。華鈴のおばあちゃんの三宅花枝。
 彼女は、占い師なんてもんじゃないと思うけど、ここでごちゃごちゃ説明するよりも、早く連れて行った方がよさそうだ。
「占い師なんかじゃないんです、あの人たちは。どちらかというと超常現象です。でも花枝さん、あ、トリコロールのご店主は花枝さんっていうんです。彼女の言い分によると、花枝さんを頼ろうと思いつく人の抱えていることって、あの人たちじゃないと解決できないみたいです。だから先輩が何を思い詰めてるのか、僕には全然分からないですけど、とにかく行きましょう? トリコロールに」
「え? あ、え?」
 そう一気に言い切ると、先輩は目を白黒させて言葉を詰まらせた。僕はスタスタスタっと先輩の前を通り過ぎる。ゴザのドヤ顔をイメージしながら振り返った。
「行きますよ?」
「はい」
 先輩は用心深いときの猫みたいに、そろーっと僕のほうに向かってきた。二人で並んで護国神社の前の信号を渡って、大手前公園を抜けていく。本町商店街はすぐそこだ。
 トリコロールは二階建て。一階が猫カフェで、二階が花枝さんの『本業』のための事務所になっている。
 実は花枝さんは、大型連休や学校が長期休みに入っているときは、ほとんど店にいない。店にどころか県内にもいない。彼女が依頼をこなすには、そうするしかないからだ。でも、今日はいるはずだ。本人がそう言っていた。
「必要なときに必要な場所にいる、それが魔女の宿命というものさ」
 黒川先輩が魔女に会いに行こうとしている、すると魔女は待ち受けているはずなんだ。
 魔女って大袈裟だと思うだろう? 僕だって最初はそう思ってたんだ。

 トリコロールについた僕は、玄関のブザーを鳴らす。
 この店では猫が出ないように中から施錠されているから、来客はみんなブザーを鳴らすことになっている。
 他にも色々工夫しているのに、ゴザだけはどうしてだか脱走する。けれど華鈴も花枝さんもあまり心配はしていない。前に、車やバイクに轢かれたらどうするんだ? と聞いたら、二人とも笑っていた。
「虎羽にはこの仔の気持ちが分からないようだね」
「花枝さんと違って、動物と話すことはできないから僕には分かりません」
 僕が花枝さんにそう言い返すと、横で聞いていた華鈴はニヤニヤと言った。
「おばあちゃん、夏梅くんには教えてあげないと分からないわよ。夏梅くん、ゴザはね、探してほしいから脱走するの」
「探してほしいから脱走するって? かくれんぼがしたいだけってこと?」
「夏梅くんをからかうのが楽しいみたいよ?」
 二人は僕が苦虫を噛み潰したような顔になったのを見て、ゲラゲラと笑い続けた。
 そして、僕をからかったり、困らせたりするアイディアが豊富なくらいには、ゴザはトリコロールの猫たちの中でも賢く、車道と歩道の区別がついていて車には近づかないから大丈夫だ、と二人は言い切った。実際今のところ、危ないと思える場所では彼女を見つけたことがないから、二人の言い分を信じるしかない。
 三宅家の女の人は、みんなそれぞれ特別な能力を持って生まれる。魔女の一族と言っていい。
 花枝さんは聞き耳頭巾をつけて生まれてきたような人で、動植物と話をすることができる。時には死者とも。トリコロールの猫たちが長生きなのも、花枝さんが猫たちのストレスや体調を理解しているからだ。彼女曰く、話をするというよりは『感じる』という言葉の方が合っているみたいだけれど。
 花枝さんにくる依頼は、動物や植物の声を『感じる』ことで解決できることがほとんどみたいだ。華鈴は、「私も聞き耳頭巾がよかったなあ」とたまにぼやく。

 鍵が回る音がした。引き戸が少しだけ開いて、華鈴の赤い眼鏡が半分だけ見えた。
「なんだあ、夏梅くんか」
「なんだじゃないだろ?」
「分かってたけどね」
半分だけしか見えない顔でも十分分かる、自信満々のしたり顔が見えた。
「早く開けろよ。連れもいるんだ」
「そう? ついさっきおばあちゃんが帰って来たから、もうそろそろおばあちゃんのお客様が来る頃だと思ってた。そっか、夏梅くんが連れてきたのね?」
 華鈴はようやく引き戸を開けた。
 華鈴のすぐ後ろのL字型の高いカウンターの上で猫が二匹、玄関を見張るかのように香箱座りをしている。
「ヒッ!」
 小さなうめき声が聞こえて、僕は後ろを振り返った。すると黒川先輩がどうにかして猫を自分の視界に入れないように、また、猫の視界に入らないように僕の背中を盾にしていた。
「黒川先輩、もしかして、猫だめですか?」僕が問いかけると先輩は身を縮める。
「だめっていうか、俺ん家ペットを飼ったことないから、この距離感にちょっとびっくりした」
 華鈴がくすりと笑った。
「慣れてない人には見分けにくいけど、アンとダイアナはもうかなり高齢なの。よほどの事をしない限り怒ったり不機嫌になったりしないし、絶対に引っ掻いたり、噛みついたりはしない。この仔たちは触ってもらいたいタイプだから、いつもだいたいここにいるの。もし猫に触ってみたいなら、この仔たちが一番ビギナー向けかも」
 僕がいつも思うのは、ペットになる動物の中で、猫は最も、「嫌」という意思表示を明確にするのではないかということだ。ひょっとしたらそこに愛犬家と愛猫家の分かれ道があるのかもしれない。人は「嫌」っていう仕草を、なかなか受け入れられないから。
 華鈴の言う通り、アンとダイアナはかなり特殊な猫たちだ。「嫌」を乗り越えちゃってるんだか、人好きな猫なんだか分からないけど、いつもこんな風に対の招き猫みたいにカウンターにいて、誰かが来るのを待ち構えている。
 華鈴から勧められて、黒川先輩は恐る恐るアンとダイアナに近づくと、そっとダイアナの頭を触った。ダイアナはごろごろ喉を鳴らしながら、先輩の手に自分の温もりや重みを乗せていった。先輩のこわばった表情が明るくなっていく。
「俺、初めて猫触ったけど、うわ、えー」
 おい、ダイアナ! サービスしすぎだろ? 腹まで見せるとか! いつも思うけど、お前って人間並みにイケメンに敏感じゃない?
 黒川先輩が気に入ったのか、サービス満点のダイアナを見て、アンがジッと不満げに僕を見た。はいはい分かりました。撫でます。撫でさせていただきますとも。
 ごろごろの二重奏をたっぷり五分くらい聴いてから、ようやく僕たちは二階に上がった。

「やっと来たか。思ったより遅かったね」
 一人掛けのしっかりとした背もたれのある、アンティークのソファーに腰掛けてくつろぎながら、花枝さんがそう言った。
 少し赤めのカラーリングで染めたショートカットが、花枝さんの年齢を不詳な感じに演出している。服装はいつも長袖のTシャツにジーンズだ。今日の足元はかろうじて黒い革のフラットシューズだけれど、たびたび華鈴のコンバースを拝借して叱られているのをよく見かける。この人を見ていると、六十代でもTシャツにジーンズが似合う人って最強だよなと思う。
「花枝さん、僕の部活の先輩が何か相談したいみたいなんです」
 僕らが花枝さんに勧められたソファーに座ると、華鈴はお茶を淹れるためにミニキッチンに移動した。ソファーに座った黒川先輩の顔をじっと見て、花枝さんは僕が知らなかった事実を口にした。
「君は黒豆書店のじいさんの孫だろう?」
「え? そうなんですか黒川先輩?」
 驚いて素っ頓狂な声が出たけれど、僕よりも驚いたのは黒川先輩だと思う。目を見開いた表情がそれを物語っていた。
「はい。そうです。なんで分かったんですか?」
「あんたが小さい頃、黒豆書店の奥さんがよく商店街を連れて歩いてたから覚えてるよ」
「え? でもそれって僕が四歳くらいまでのはずなのによく分かりますね?」
「まあねえ。で、私たちに相談したいことっていうのは?」
花枝さんが促すと、黒川先輩はおずおずと話し始めた。
「僕が最近気がかりなのは、その、黒豆書店のじいちゃんの事なんです」
 黒川先輩は頭を掻いてから、大きく溜息をついた。
「半年ほど前にばあちゃんが死んでから、何か思いつめた様子だったんで、僕の家族はじいちゃんと同居するようになったんです。しばらくして思いつめた様子はなくなったんですけど、じいちゃんが始めた趣味が奇妙で危ないから心配なんです」
「奇妙な趣味?」
 と僕が尋ねると、黒川先輩はコクリと頷いた。
「じいちゃんの車にいつも積んであるクーラーボックスに、ドローンが入ってるのを見つけたんです。じいちゃんとドローンって組み合わせがなんか違和感あって、こっそりじいちゃんをつけてみたら、家族には釣りだとか囲碁クラブに行くとか言ってたのに、実はドローンを飛ばす練習をしてるんです。で、この前、お城で飛ばしているのを見かけて思わず『止めろ!』って止めたんです」
 お城というのは白鷺城のことだろう。花枝さんが首を傾げた。
「そんなことをする理由は聞いてみたのかい?」
「もちろん聞きました。でもじいちゃんはだんまりで。父さんに相談したら、じいちゃんと父さん大ゲンカして……。家の中殺伐としてるのに、じいちゃんはまだドローンを飛ばしてるみたいなんです」
「確かに、それは止めないといけないね。前にニュースにもなっていたからねえ……」
 世界遺産や重要文化財の上にドローンを飛ばして、落下させるニュースを最近よく耳にする。それで世界遺産や重要文化財が傷ついたら、悲しんだり怒りを覚えたりするのは、まず地元の人間だ。
 黒豆書店さんは観光客なんかじゃなくて地元の人なのに、なんでそんなことをするんだろう?
「ドローンを飛ばし始めたのは半年前なのよね?」
 ミニキッチンでお茶を淹れながらすべてを聞いていたらしい華鈴は、お茶を黒川先輩に勧めながらそう尋ねる。黒川先輩が頷くと、花枝さんに何かを耳打ちした。花枝さんはふむふむと頷く。
「はーん、なるほどねえ。忘れていたよ。でもそうかもしれないねえ。黒川くん、どうやら今回は私より華鈴の方がお役に立てそうだよ」
 黒川先輩も僕も顔を見合わせるしかなかった。二人とも何が分かったというんだろう。
「黒川くん、帰ったらおじいさんにこう言うといい」
 そう言って花枝さんは黒川先輩に「キーワード」らしきものを授けていたけれど、それを聞いても僕には何の事だかさっぱり分からなかった。